いつくしむ 1

キョーコが新たに椹から「行ってきて」と言われた先は、都内某ビルの会議室だ。
地下鉄を下りて、手に握る地図を目標に歩いている。

椹に、「新しいオムニバスドラマのオーディションなんだけど、最上さんの器用さを買って社内推薦があってね。受けてきてくれない?今までの役と違っているから意外性もあって良いと思うんだけど」と言われて、言われるがままそこに来ていた。


「何人か社内からもオーディションに行っているはずだから、知った人とも会うかもね」と、椹は言った。それから、「うちからは、蓮と何人かはもう決まっているから」と付け加えた。


雨がやんで、キョーコは一度空を見上げてから、傘を閉じた。雨粒をはらい、それを綺麗に整えて、ボタンを止めた。


映画にしろドラマにしろオーディションへ向かう時はいつも不思議な気持ちがする。期待しすぎない、でも、お仕事をしてみたい、新しい役に出会ってみたい、受かりたい。


――敦賀さんと、また、一緒にお仕事できるなら、なお更・・・

そんな事も、思ってしまいながら。


***


入り口には、「『いつくしむ』オーディション会場」という貼り紙がある。中に入るとすぐに、控え室への矢印と、控え室、と扉に大きな字で書かれた紙が貼ってあった。


控え室の入り口前に男性が一人立っている。キョーコが歩いてくると、「オーディションを受けに来た方ですか?」と問い、キョーコは「LME所属の京子と申します」という挨拶と共に、綺麗なお辞儀をした。

「これをお持ち下さい」と男性からキョーコは薄い台本を貰う。「これを時間までに覚えてきてください」、と付け加えて、彼は表情も抑揚も愛想も無く「頑張って下さい」と言った。

キョーコは「ありがとうございます、失礼します」と言って、再度、綺麗なお辞儀をした。控え室の扉を開けると、中には数人の女性が既に座っている。キョーコを一瞬見て会釈をする人と、全く見る事も無く集中して貰った台本を黙々と覚えている人とあった。

キョーコも荷物を置き、受け取った台本の中を開くと、台詞は殆ど書いていない。女性の生い立ちと、オーディション用の指示だけが書かれている。

一度集中してしまえば、キョーコも自分の世界に入り、その台本の中のキャラクターとの対話が始まる。その後数人入ってきたときにだけ会釈をして、あとは台本との対話を続けた。


時間が来て、先程の男性が「会場までお連れしますので付いてきて下さい」と言い、皆静かに彼の後を着いて廊下を歩いていった。


最初に個別面接が有った。「この原作小説は読んだ事がありますか?」という事と、「器用な方や芸術に長けた方に集まってもらっているのですが、何か得意な事は?」という事を聞かれた。


原作は読んでいない事と、得意な事として、料理と縫い物と、大根の桂向きや野菜などの飾り切りが得意である事を告げると、監督がスタッフにすぐ目の前のコンビニで、幾つか飾り切り用の野菜を買ってくるように言い、見せて欲しいと言った。


それを待つ間にキョーコは、台本の台詞を先に演じる事になった。演じた後に「どんな感じ?率直で良いよ」と問われて、「とても凛として静かな人です。和服が似合いそうな、少し古風な雰囲気も感じます」と感想を述べた。


監督は、「読んでいないなら仕方ないけど、和服を着ている事が多いんだ、彼女は」と言った。そして、「和服は着た事がある?」と問うから、「自分で着付けられます」と答えると、「いいね」と監督は言った。


今度は他のスタッフに「衣装さ、ここに持ってきてる?出来れば着た姿が見たい」と投げかけると、「あります」と言い、キョーコに着てくるように言った。


促されるままキョーコは着物を別室で着付けた。着物を着ると、背筋が伸びる。この様子の方が、確かに、台本の人物になりきるには良さそうに思えた。
面談の部屋に戻ると先程買いに出ていた野菜が並べられていて、「やってもらえる?」と言われて、大根を桂向きして見せた後、キュウリや大根、にんじんやトマトやリンゴを、花にしたり蝶にしたり、結んでみたりして、綺麗に並べて見せた。
監督ほかスタッフも、とても感心したように「へぇ」と言った。


「いやあ、今回キャスティングするにあたって色んな芸を持った器用な人を見てきたけど、さすが芸で食べてる人間達だよね。芸は身を助ける、だっけ?色々出来そうだね、京子さんは」

と監督は、感心したようにキョーコに言った。


「お茶とお花も簡単ですができます」
キョーコがそう言うと、監督スタッフ共に、そうかそうか、という意味の納得の頷きを数度、静かにした。

何でもやっておくものだとキョーコは過去の栄光のように思うし、教えてくれた人に感謝を覚える。

覚えた台詞を、キョーコが役になりきって口にする。監督やスタッフの鋭い視線が、熱い気がする。興味があるという意味での期待が込められているような気がして、その視線に肌がむずむずした。


それが終わると、他のオーディションを受けに来た人との公平を図る為に、キョーコはもう一度来た時の服に着替えなおすよう言われた。


そして、別室に数人のオーディションを受けに来た人たちと共に、目の前の紙にひたすらちぎった紙を貼る。その役どころになりきって、ただひたすら糊と紙を前に、ちぎり、下絵の上に紙を貼る。

全てが出来上がったら持ってきてください、と、スタッフが言った。


手を動かす事は嫌いでは無いから、気づいたら集中していた。他の人がもう終わりました、と、言って持っていっていた事も忘れて仕上げた。オーディションである事を少し忘れている事を出来上がったときに気づいたけれども、台本の中のキャラクターは、ただひたすら紙に集中してそれを貼ると書いてあった。


キョーコは、終わりました、と、言い、監督に「持ってきてください」と言われて立ち上がり、渡すところまでキャラクターのままでいたつもりだ。


一礼して、ありがとうございました、と告げて部屋を出る。キョーコが最後で、他のオーディションを受けた人たちは皆帰り支度をしていた。

出てきたスタッフは、「発表は一週間後、連絡先にご連絡します」と言った。
綺麗な人もあったし、あまり期待はしないでいたかったけれども、蓮が出るなら出てみたい。しかも、新鋭の作家のドラマ化とあれば、注目も高いし、恐らく誰もが思っているだろう。


帰りがけ、本屋に寄り、その原作の本を探し、シリーズ数冊を買った。電車の中で読み始めると、もう、先程のオーディションの風景が目に浮かび、すぐにその彼女になりきって読み続けた。蓮が指名されている役柄はどれだろう。


降りるべき駅を一駅過ぎてしまい、慌てて次の駅で降りて、戻った。集中して読んでいた。


受かりますように、ただそれだけを思った。




2015.4.5